TRUNK SHOW
SCARPE SU MISURA il micio
2016.2.13 (sat) - 14 (sun)
at TOMORROWLAND
MARUNOUCHI
日本人初となる海外でのビスポークショップ「il micio」をフィレンツェでスタートさせ、
日夜「世界一美しい靴」を目指す靴職人、深谷秀隆氏。
深谷氏とコラボレーションした〈Hidetaka Fukaya per TOMORROWLAND〉のシューズコレクションは、
デビューからおよそ13年が経過します。
2016 SPRING / SUMMERより、トゥモローランドで年2回(2、8月)
デザイナー本人が来日し、ビスポークのオーダーをスタート。
トゥモローランド 丸の内店にて2月13日(土)、14日(日)の2日間、オーダー会を開催します。
今回の深谷氏来日に合わせ、雑誌「LAST」編集長の菅原幸裕氏によるインタビューが実現。
貴重なインタビューをぜひご覧ください。
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- 菅原(Y):
- フィレンツェにご自身のお店『il micio(イル・ミーチョ、猫の意)』を構えられて、もう10年と聞きました。
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- 深谷(H):
- そうです。オープンは2005年の1月14日でした。
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- Y:
- イタリアに行かれたのは、1990年代後半でしたよね。
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- H:
- 98年でした。
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- Y:
- その前は名古屋で靴づくりを学んだ。
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- H:
- そうです。グレースシューズという靴メーカーで、松田(繁太郎)さんが親方で、僕は弟子として修業していました。グレースが靴学校(靴の学校Graces Shoes)を始める前のことです。雑用含めいろいろなことをやっていました。
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- Y:
- 一時はファッションデザイナーでもあったんですよね?
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- H:
- 服飾の専門学校に行って、その間にグレースにも行っていたのですが、KENSHO ABEというブランドからヘッドハンティングをされたんです。僕としては1年みっちり仕事して、ファッションの流通と仕組みを勉強しようと思っていました。そうしたらいきなりKENSHO ACTIVEというブランドの立ち上げをやれと言われて、まさに寝られない日々。その当時猫を飼っていたので、えさをあげるためだけに家に帰って、また会社に戻ってという生活でした。
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- Y:
- いきなりデザイナー仕事の全てを経験したと。そしてそのまま洋服の道には進まず、靴を志した。
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- H:
- あの頃のいわゆるDCブランドは、アイデア勝負でした。極端に言うと、アイデアとミシン一台あれば、誰でもできるような世界。そこで、もともと革好きだったこともあって、やはり靴づくりを目指そうと思ったんです。僕が子どもの頃、うちの近所には靴修理のおじいさんがいて、よく遊びに行ってました。あと下駄屋などもあったんです。
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- Y:
- もともと履物文化は深谷さんにとって身近なものだったんですね。ではなぜイタリアだったんでしょうか?
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- H:
- イタリアに行けば職人がいるだろうと思ったからです。
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- Y:
- 英国とかじゃなくて?
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- H:
- メシがまずいところは嫌なんです(笑)。実は当時、『フィレンツェ職人通り』(中嶋浩郎・著、NTT出版、1997年)という本を読んで、それがきっかけです。
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- Y:
- 数年前に亡くなったステファノ・ベーメルさんが紹介されている本ですね。確か神戸の靴店『スピーゴラ』の鈴木(幸司)さんもその本を読んで、フィレンツェに行かれたとか。
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- H:
- でも、実際にベーメルに行ったら弟子入りを断られて。その後靴職人をいろいろと探して、シエナのアレッサンドロ・ステッラの工房に入りました。
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- Y:
- シエナではどんな感じでしたか?
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- H:
- 最初は絵型描きです。工房がほんとに狭くて、トイレの中にブレイクマシン(底付けのミシン)があって、僕は便座の上に座って靴をつくっていました。アレッサンドロ・ステッラの靴は基本的にはブレイク製法でした。僕が途中までハンドソーンでウェルトまで縫って、出し縫いをミシンでかけるという形もありました。
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- Y:
- でも底づけ以外の靴づくりの工程、例えばつり込みなどは手作業ですよね?
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- H:
- ほとんど手仕事です。底付けだけマシンを使うということです。
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- Y:
- 当時は、現在のようなフルハンドメイドの靴づくりをやろうと思っていたわけではなかったということでしょうか?
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- H:
- いや、ハンドメイドの靴づくりをするために、イタリアに行ったんです。でも、当時のイタリアの靴は、(今と)全くつくり方が違うんです。どちらかというと粗い。細かなところだとベヴェルドウエストのつくり方も違うし、ヒールのつくりも違う。さらに当時そうしたことを教えてくれる人は周りに誰もいませんでした。そこで、世界各国を見て歩くしかなかったんです。
フィレンツェにある、il micioのショップ。
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- Y:
- 深谷さんというと、イタリアで靴づくりを修めたと思われがちですが。
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- H:
- 例えばコバに凹凸をつけるためのウィールは、イタリアでの靴づくりにおいては、ただ飾りをつけるだけの道具と思っていました。ところが英国に行って、ちらっと底付けを見せてもらい、あっ、こうやってアウトステッチのピッチに沿わせて使うのだと。
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- Y:
- ロンドンのジェイソン・エイムズベリーやジョン ロブに行かれていますね。あとパリにも。ピエール・コルテ、ディミトリ・ゴメス(クロケット&ジョーンズ・パリ)のところなど。ヨーロッパ各地の職人を訪ねると、必ずといっていいほど深谷さんの名前が出ます。
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- H:
- 各地で靴づくりを見て、フィレンツェに戻って実験、その繰り返しです。いろいろやってみて、気づくしかない。
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- Y:
- 99年ごろ、深谷さんに私が最初にお会いした際、「毎日実験ですよ」と言っていたのをよく覚えています。その時は既にご自身のブランド、イル・ミーチョで靴づくりをしているのに、実験とはなんだろうと思ったものです。その後LASTの取材を重ねる中で、深谷さんが各地を巡っていることがわかって、なるほどと合点がいきました。いろいろな靴づくりに触れ、自ら試し、修得しているのだと。
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- H:
- 今でこそ靴づくりに関する情報は簡単に、いろいろと手に入りますが、当時はそうするしかなかったのです。今の自分のつくり方は、いわば英国またはフランスのつくり方です。でも、あの頃はみんなこれを知らない。当時イタリアにあったのは、コンパスで目を打って、出し縫いして、一個一個目付けしていく、迫力満点の手製靴。あれはあれで好きですけどね。
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- Y:
- 深谷さんの靴づくりは、研究を重ねて、どんどん変わっていったわけですが、見聞した靴づくりを取り入れる際、何か基準はあったんですか?
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- H:
- それはもう、好き嫌いですよ。
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- Y:
- 例えば参考にしたものは何でしょうか? 以前、アンソニー・クレヴァリーの靴を見せていただいたりしましたが。
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- H:
- まあ、古い靴です。英国のもの、フランスのもの、アメリカのものもあります。アメリカの靴は1930年代だと、大陸のにおいが強いですね、木釘を使ったりしていますから。イタリアでは木釘は登山靴などで使っていました。例えば出し縫いを木釘だけでやる人もいるんです。一足つくりましたけど、大変なんで二度とやらないです(笑)。
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- Y:
- 実際につくったんですか?
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- H:
- それはもう、実験してみないと。
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- Y:
- ご自身の靴づくりが固まったなと感じたのはいつぐらいですか?
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- H:
- 自分の店をオープンするときでしょうね。2005年の手前ぐらい。自分の木型を決めて、つくりも決めて、そこから大きくは変わっていないです。さらにその後、スミズーラの靴づくりだけでなく、鞄や革小物もスタートしました。
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- Y:
- その流れで、既製靴ブランド『Hidetaka Fukaya per TOMORROWLAND』を手がけられましたが、それまで既製靴のつくり方を勉強されたりしていたのでしょうか?
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- H:
- 既製靴の型紙づくりの仕事を請け負ったりもしていたので、ファクトリーでの靴づくりはある程度わかっていました。あと、僕はもともとデザイナーだったから、結構スムーズに出来たとも思うんです。コレクション制作と同じプロセスなわけで。
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- Y:
- 既製靴を手がけるにあたって、特に気をつけたところなどありますか?
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- H:
- スミズーラにならないように、ということですね。中間ということです。フィッティングも中間のポイントをとらなくてはいけない。狭すぎてもダメだし、広げすぎても格好悪い。それと、僕はグッドイヤー製法を採用しませんでした。コストのわりに、仕上がりがきれいじゃない。ここまでシャープに仕上げようと思ったら、ブレイク製法です。グッドイヤー製法は(スミズーラと比べて)工程を減らします、ウィール、コバ、ヒールの削りなど各工程において。僕がやりたいことは、そういうことではなかった。
木型の製作から底付けまで、すべて手作業で行われる。
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- Y:
- デザインのインスピレーションソースは、やはり古い靴ですか?
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- H:
- 靴をつくっているうちに偶然見えるものがあります。それをすぐにメモで描いて、時間があるときにそこから型紙をつくってみます。つくっている中で得られる形があるんです。
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- Y:
- 現在Hidetaka Fukaya per TOMORROWLANDはオックスフォードタイプからローファータイプまで幅広いバリエーションです。ローファーも同じ木型を使っていますか?
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- H:
- 同じです。もともとローファーでも使える木型として設計しています。ローファーは履き口の広いものが好きですね。ほんとはもう少し広くとりたいところですけど、(足が)抜けやすくなってしまう。
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- Y:
- これでも広いほうだと思います。そもそもローファー(怠け者の意味)はその名の通り、イージーフィットな靴ですし。
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- H:
- 要するにつっかけですからね。そういうことは雑誌などでもっと言ってもらいたいですね。既製靴でも、スミズーラでも、ローファーは本来フィッティングはイージー。そういう履き方の靴でしょう。
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- Y:
- 靴づくりにおいて、深谷さんが重視する美しさとは、靴そのものですか、それとももっと全体的なものですか?
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- H:
- バランスです。
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- Y:
- バランスというのは、体型、ファッション、または履く人の雰囲気?
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- H:
- それら全部です。もちろん体型が一番大事ですけどね。僕が受け容れられないのは、“靴だけ”になってしまうことです。
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- Y:
- そうなると靴づくりにもファッションやスタイルへの感性が求められると。
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- H:
- 少なからず必要だと思います。自分たちでオーダーサンプルをつくっているということは、提案をしているわけです。ならば靴以外の部分もちゃんと見ることができないと、その提案は嘘になります。どんなパンツを合わせたらいいのですかと聞かれたら、答えられないといけない。お前はもともとファッションデザイナーだから、そういうことができるだろうと言われたりしますが、それはちょっと違います。知らないのなら、勉強しないと。この時代を生きているのならば、そこは出来ないとダメだと、僕は思います。
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- Y:
- ご自身のお店を10年やってみて、靴づくりに対する考え方で変わったことはあるのでしょうか?
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- H:
- ストイックさは変わっていないです。モノは数をつくらないと、レベルアップしない。それをストイックにやり続けることです。未だに自分がつくった靴には、完成の瞬間から不満を感じてしまいます。やはり靴をつくることが好きで、一生修業なんです。そしてそれを弟子に継承していきます。
左: オーダーシート。ミリ単位まで細かく採寸された数値や
足のクセなど、ひとつひとつ書き込まれていく。
右: ビスポークのストレートチップ。
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- Y:
- いまお弟子さんは何人ですか?
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- H:
- 4人です。面白いのが、トビア・ステッラ、アレッサンドロの息子が、今うちで弟子として働いています。
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- Y:
- かつての師匠のご子息が修業しているとは、すごいですね。ヨーロッパでは最近、職人を目指す若い人が、増えている感じがします。
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- H:
- 手仕事への関心が高くなっていますね。さらにフランスやドイツだと、国が職人を支援してくれる。でもイタリアはあれだけ職人の街、職人の国として知られているのに、助成金も、優遇措置も、何もないのが実情です。
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- Y:
- ところで、2015年より、スミズーラをトゥモローランドでも展開することになりましたが、その点はどのように感じられますか?
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- H:
- 丸の内店のリニューアルを機にスミズーラをスタートしましたが、僕の既製靴を気に入っている方が、次のステップとしてスミズーラを体験できる、それはいいと思いました。新しい感覚を持ったお客様と知り合って、生まれるものもまたあると思います。僕も刺激を受けて変わることが楽しみですね。
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- Y:
- Hidetaka Fukaya per TOMORROWLANDには深谷さんの美意識が反映されているわけで、その美意識に基づいたスミズーラをやってみたいという方もまた、いらっしゃるでしょう。先日、英国のある靴職人と現代のビスポークの傾向について話をしました。今は昔の貴族のように、父親がつくっていた靴店に息子も行って、普通のキャップトウオックスフォードから靴をオーダーするという感じではなくて、オーダーする人がインターネットなどでさまざま情報を集めて、アイデア満載の一足をつくろうとする傾向が、日本に限らず欧米でも多くなっているようです。
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- H:
- それとはちょっと話のポイントが違うかもしれませんが、うちでは最初の一足目はオックスフォードでつくっていただきます。これは変わっていないですね、始めから。
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- Y:
- 黒のオックスフォードだけをつくる、という方も多いですか?
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- H:
- そういう方もいらっしゃいます。そこがヨーロッパで靴づくりをやっていて面白いところです。同じものを2足つくるという方もいます。別荘用に一足、本宅に一足、と。フォーシーズンスやヴィラ・サン・ミケーレといったホテルと仲がいいこともあって、そこから電話がかかって来ることもあります。フォーシーズンスがつくった、フィレンツェの職人の写真集があって、そこに大きく紹介されたことも影響しています。
ビスポークのオーダーサンプル。
象革や、クロコダイルなどエキゾチックレザーも
豊富なバリエーションから選ぶことが可能。
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- Y:
- 話はがらりと変わりますけど、マラソンに出場されたと聞きました。
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- H:
- つい先週ですよ。初挑戦で完走でした。もともとマラソンを見るのが好きだったんです。もちろん練習しましたよ、1週間酒もやめましたし(笑)。
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- Y:
- でも、見るのと走るのとは大きく違います。なぜ出ることにしたんですか?
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- H:
- だってフィレンツェ・マラソンですよ。フィレンツェでのマラソンに出たくて、海外からわざわざ来る人もいる。僕はこの街に住んでいるから、出たいと言ったら出られるわけです。一生のうちに一回ぐらいはやっておいたほうがいいじゃないですか、経験として。そしてゴールを越えたときの景色は、やった人にしかわからない。その景色が見たかった、ただそれだけです。
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- Y:
- 意外なスポーツマンの一面ですよね。あと自転車もお好きですよね。レースにも出ているとか?
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- H:
- アンティークの自転車のレースですけどね。2015年は12回出場しました。
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- Y:
- 結構な数ですね。どんな自転車に乗られているんですか。
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- H:
- 今は1904年のフランス車です。ギアはもちろんなくて、シングルスピード、それがいい。他にも1800年代のものが2台、1909年のもの、そしてタンデムを1台持っています。タンデムは英国のBSAです。BSAがオートバイをつくる以前のもの。
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- Y:
- レースは、イタリア各地で行われるんですか?
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- H:
- そうです。有名な自転車レース“ジロ・デ・イタリア”があるじゃないですか。僕が出ているのは、そのジロ・デ・イタリアのアンティークバージョン、“ジロ・デ・イタリア・デポカ”です。同じコースを走るんです。
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- Y:
- その場合、服装などはどうしているんですか?
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- H:
- レプリカやオリジナルを探したりしています。僕の自転車の年代になるとさすがにオリジナルはないので、レプリカのウェアです。ウールジャージー。当時はそういうものを着ていました。
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- Y:
- イタリアでそんなひんぱんにヴィンテージバイクのレースをやっているとは思いませんでした。
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- H:
- シーズンは偏りますけどね。主に4月からシーズンがスタートして、4〜6月が中心で、11月まで。距離は最低で38キロ、最長で100キロ程度です。でも勝ち負けはありません。休憩所ではワインとか出ますしね、生ハムとかブルスケッタと一緒に。つい飲んじゃうんですが、飲んで走るのは結構しんどいですね(笑)。
PROFILES
HIDETAKA FUYATA / YUKIHIRO SUGAWARA
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深谷秀隆
Hidetaka Fukaya“il micio” Shoes Designer
1974年愛知県生まれ。名古屋モード学園在学中より、現在は「靴の学校グレースシューズ」を営む松田繁太郎氏に師事して靴づくりを学ぶ。専門学校を優秀な成績で卒業後、『KENSHO ABE』でデザイナーを務めた。1998年に靴づくりを学ぶために渡伊。シエナのアレッサンドロ・ステッラ氏に師事した後、フィレンツェにて自身の靴ブランド『il Micio(イル・ミーチョ)』を立ち上げ、スミズーラの靴づくりを始める。2003年からはフィレンツェの老舗メンズショップ「タイ・ユア・タイ」の靴のデザインを手がけ、2005年には日本人靴職人としてはフィレンツェで初となる靴店『il Micio』をオープンした。2006年からは既製靴ブランド『Hidetaka Fukaya per TOMORROWLAND』を展開。2015年からはイル・ミーチョのスミズーラもTOMORROWLAND丸の内店にて取り扱っている。
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菅原幸裕
Yukihiro Sugawara“LAST” Chief Editor
編集者、雑誌『LAST(ラスト)』編集長。アパレル業界誌、編集プロダクションを経て、1994年より雑誌『エスクァイア日本版』編集部に参加。編集部在籍中の約15年間、音楽や映画などのカルチャー、ファッション、ライフスタイルなど多岐に渡る分野の特集を担当する。2002年にはエスクァイア日本版の発行元エスクァイアマガジンジャパンより、『男の靴雑誌LAST』を創刊。LASTはその後発行会社の解散により2009年に一時休刊するものの、2011年10月に現発行元、シムサム・メディアより復刊。現在年2回(4月と10月)、ビスポークシューズからデザイナーズスニーカーまで、幅広くメンズシューズの魅力を紹介する世界でも珍しい定期刊行物として、日本のみならず海外でも広く知られている。